いま、思うこと
 私がこのHPを作ろうとしてから、半年以上の月日が流れました。それは、HPを作る上での知識や技術が無かったのも一因ですが、本当はそうではなく、自分の無意識のレベルで、私のHPを見るかもしれない世界中の人の前に、(何でも大袈裟に考えるクセがあるもので…)私の考え、私の気持ち、私の真実をさらすのは何の為か?これが本当にやりたいことなのだろうか?というところでいつも、止まってしまっていたのです。

 つまり、決断しようとすると、わけも無く不安が頭をもたげるのです。。こんな風に止まった流れを放りだし日常を送っていましたが、私を取り巻く変化の流れがあまりにも強烈で、その不安に目を背けてはいられなくなってしまいました。人間関係や個人的な事柄にとても差し迫った重大な問題が生じ、これまでは無視できた価値観やものの考え方を、本気でみつめざるを得なくなってきたのです。自分自身の価値、自分自身への尊敬、自分への愛、自己反省について本気で考えなければと。 

 もはや自分自身を探求するのは、道楽なんかではない!!(私自身が道楽だって思っていたから、言えなかったんでしょうね。)それこそが、大切な事。すべてなのだ。

 そこで、私はそのわけも無い不安の正体を突きとめるべく、真剣に自分の心と直面することにしたわけです。その不安の源とは?心の中で疼いている感情は一体何なのか?自分の真の感情を見つめるのは、私にとってすさまじく勇気のいる仕事でした。

 というのは、私は怒りや憎しみ、喜びといったある種、エキセントリックな感情の解放はお手の物で、「ファック・ユー!」は十八番と言ってもいいくらい。(笑い)でも、その手の感情解放は比較的、簡単な人には簡単で、私も枕に向かって「ワー!」は、言われなくても何百回、何千回はやってきました。(人に向かっても…)

 しかし、怒り、憎しみだけで片ずけても、自分はちっともすっきりしないと知っているので、その下を探ってみると、どうやらエゴが、“恐れ”を使って私をコントロールしているのに気ずきました。エゴが言うんです。「お前は完璧じゃない!」「お前の考えは受け入れられない!」「自分を出したら、傷つけられるぞ!」等…。

 OK!「私は怖い。世界を怖がっている」と、甘んじて認めましょう。という風に自分の中でシフトした途端、サーッと肩の重荷が降りるのを感じたのです。

 人間性回復のセミナー・チャネリング・インディアンの儀式・過去生の想起…。今まで個人的にごく親しい人達にしか見せていなかった自分の精神的なものの見方を公衆の面前にさらすのは、今まで私には大変なことでした。宇宙もそれを尊重し、私の本当の個性を隠すような現実を創ってくれていました。つまり、私自身が、恐れを使ってそう仕組んできたのです。
 
しかし、無意識の抵抗をこれ以上続ける理由はもう何もなくなったように感じます。なぜだか、私の仕事はまず、自分の信条を公にするということだとわかったのです。これを自分で認めるために、私の背中を大きくドン!と押してくれたのは、他でもない“差し迫った重大な問題”であることは紛れも無い事実です。これも私が創りだした現実であり、そこから、学べるものもきっと沢山あるのでしょう。
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