心の奥のやわらかい場所
最近、テレビで「アイ・アム・サム」という映画を観た。

主人公はサムという7歳程度の知能を持つ男性。ホームレスの女性との間にできた子供を隣人や友人たちのサポートを受けながら、必死で育てていた。
サムはその子ルーシーに掛け値なしの愛情を与え、彼女もまた愛情を充分感じながら、成長していた。

しかし、あることがきっかけで児童福祉局の人間にそんなサムが7歳になる子を育てていることを知られ、親子が引き離されてしまう。”彼の子供の養育能力に疑問がある”という理由で。

彼はすぐさま弁護士を探し始めた。そして、ひょんな事からリタという弁護士に弁護を依頼することになる。そこから、ルーシーを取り返すべく二人の二人三脚が始るのだが、度重なる審理の中で、「娘が成長して行き、難しい時期に入ったらどうするんだ!」などと追い詰められ次第に自信を無くし、彼はすべてを放棄してしまう。仕事も裁判も…。

そこへリタがやって来て、彼を説得する。すっかりしょげかえっているサムが彼女に「もう闘ったよ。充分闘った。でも、どんなにがんばっても、がんばっても、がんばってもどうにもならないんだ。君は生まれつき優秀で、僕はこうだ。君は完璧さ。君にはわからない。心に受けた傷の痛みを。心が冷たくて、何も感じないんだ!」と喰ってかかる。

それに対して彼女がいうセリフがこうだ。

「自分だけが苦しんでいるとでも?なら私はどうなるの?いつも道に迷い、劣等感に苛まれてる人間よ!私のような人間は、夫が私よりずっと完璧な女と浮気してるのよ。息子にも毛嫌いされてる人間だわ。すぐ息子にきたない言葉でわめき散らしてしまう。7歳の子供に、家に帰る時ぐずって車に乗らないからと__ 息子は私をにらむ。怒りに満ちた顔で。いまいましい顔__ 私は怒鳴る。”悪い母親だわ!””不満でしょうよ_でも車に乗って!!”
毎朝のように味わうわ、挫折感を。周りを見回すと_誰も彼も立派に見える。私だけがだめなの。どんなに頑張っても…」

と泣き崩れるのだ。

それを見た私も一緒に泣き崩れた。私も似たような劣等感、罪悪感をもっている。子供に対して。でも、普段はこれを見せないようにして生きているんだと思う。映画の中で彼女が言ってくれたセリフで、私の心の奥のやわらかい場所への箍が外されたんだと思う。そして、たまには箍を外さなきゃと再認識させられた。愛を感じたいなら… そして本当の自信を取り戻したいのなら。
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